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沖縄の行事
旧七夕
沖縄の七夕は、中国や本土で行われている「星祭り」ではなく、
祖先の供養行事の一つとして位置づけられています。
本土の七夕は、中国から輸入された乞巧節(婦女子の手芸の上達を願う祭事)と、
日本固有のなばたつめ(棚機女)信仰が結びつき、 これが、されに中国の牽牛星、織女星伝説とも結びついて星祭りに発展したとされています。
この伝説は、牽牛星と織女星が、カササギの掛け渡した天の橋を渡って 年に一度の相会を楽しむ、というものです。
本土では、笹や竹の葉に色紙の短冊も飾りつけ、裁縫や書道など手芸の上達を願う習慣があり、 また、星祭りがあります。
しかし、この行事も、もとは農業や中元節(盆)との関わりの中から生まれたもので、 短冊を飾る笹竹も、盆に供えて祖霊を迎え入れる依り代が変化したものと言われています。
「琉球国由来記」には、国王が円覚寺などで祖先の霊を拝んだあと、 大美御殿で付き添いの人達にソーメン(素麺)を与えたというと記されており、
もともと祖先供養の行事だったということが察せられます。
この日、各家では墓参りして、七夕の墓を清めに来たこと、 盆祭りが近づいていることを先祖に告げ、そのあとで墓の周りの草を刈ったり清掃をしたりします。
また、この日は各家庭での虫干し、個人の洗骨も行われます。 特に洗骨は、普段は日取りに制約があるが、七夕は最良の吉日とされています。
近年は、新暦の七夕行事も取り入れられ、子供のいる家庭では短冊で飾りつけた笹竹などが見られます。
沖縄の方言で天の川は天河原(てぃんがーら)といいます。
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